染谷家の歴史

染谷氏は、天正11年(安土桃山時代1583年)、
小金城主(現松戸市)高城胤則から染谷二郎右衛門に出された官途状を有する旧家で高城氏の在郷被官でした。
北条氏側であった高城氏が小田原征伐(1590)で豊臣秀吉に敗れたことにより染谷氏は帰農し、
ここ鷲野谷村で代々名主を務めてきました。
江戸時代の染谷氏は、万延元年(1860)関宿藩に上納金を納め、
名字帯刀を許されるなど地域の有力者として近世を生き抜いてきました。
酒造業や養蚕業、質屋など商売をしていた記録も残されています。
近代には鷲野谷村の村長を歴任し、文化的活動なども積極的に行っていたことが
わかっています。

染谷家住宅の建物

染谷家住宅は江戸時代後期~明治時代の建物がほぼ当時のまま残されており、
中世の支配者層である名主の生活を窺うことができる文化財として,平成31年に主屋ほか8棟が国の登録有形文化財に登録され,令和2年には庭園も国登録記念物に登録されました。

令和元年に建物の破損調査を行い,令和2年から建物の保存修理工事を行いました。
そして令和5年度に大部分が完了し一般公開を開始しました。